半年後に向けて色々と作業を進めた。
これまた近藤さんと、加藤さんと仕事をする流れになる。
加藤さんには色々と条件を提示して、それを飲んでもらった。
ただ、彼からも要求があった。
「1年間の猶予を与えるから、その間にバンド活動をした場合のみ契約続行」
俺の返答は
「まぁ、どうなるかわからないので、1年活動しながら考えます」
で、
曲を書き、歌詞を書き、プリプロをした。
それまでと行程が違うので、わからないことだらけだった。
ベースは俺の要望で最初から泰造だった。
ドラムは、何人か俺が候補を出したのだが、全員スケジュールが合わず…
そんな中で紹介されたのが竹ちゃん。
ギターは、俺とまったく違うタイプのプレイをする人、
ってことで峰君というギタリストが来てくれた。
レコーディングでは自分でギターを弾くので、
彼とは、このプリプロの間だけ一緒に音を鳴らした。
で、2006年5月10日
1st.SINGLE「極彩色の狂詩曲」発売。
ミンナノウタを1曲目にしてタイトルチューンにしようとしたんだが
スタッフ全員の猛反対でRecoloredが1曲目になった。
「わかってないなぁ…」と思った(笑)
久々にアー写の撮影をして、なんか緊張して上手く撮れなかった(笑)
それを活かして、PVの撮影は上手く出来たと思う。
そして5月19日、代官山UNITで
初ワンマンライブ。
めっっっっっちゃ疲れた(笑)
ギター弾いて歌うって、こんなに疲れるんや!?
って、心底痛感した。
「奇跡」を与えるために向かってきた結果、
また「奇跡」を貰えたように感じた。
アンコールの演奏を終え、ステージから帰る際に
いつもと同じでアドリブでひと言話そうとした際、
ふと出たのが
「ひと言じゃ足りないので、ふた言。ありがとう。愛してる。」
与えること、貰うこと、それが共存して、ライブになる。
当然のことなんだが、体感したんだと思う。
なんかわからないが充実感がある…と思った。
凄く、求められることが嬉しく感じた。
漠然と、何かが楽しいと感じている自分がいた。
この時は、まだ気付いていなかったけれど
きっと自分の声で歌で叫びで、感情や言葉が伝わって行くことに
今までとは違う充実感を得ていたんだと思う。
9月にセカンドシングルをリリースし、
10月に東京・大阪のワンマンライブを行い、
自分の中で、ソロ活動における1つの目標を見付けた。
バンドが解散ライブをしたSHIBUYA-AXに、
もう一度ワンマンで立とう。今度はソロで。
スケジュールを仮で妄想した。
年内は大きめのライブへの出演を続け、
年末の武道館イベント(天嘉)に出れるなら、
もう一度映像を流して去年の印象と重複させよう。
そして、そこを皮切りに情報を発信させ、
年明け(2007年)にアルバムをリリースし、
その発売記念で解散発表の地である「リキッドルーム公演」をする。
リキッドルーム公演が成功すれば、
春から初夏頃にツアーを行い、東名阪ワンマン。
それが上手く行けば、
前身バンドの解散ライブの日(12月1日)が土曜なので
2007.12.1にSHIBUYA-AX公演。
自分の中で、不可能ではないシナリオを組めたと感じた。
本気出せば出来る。
周りにそれが伝われば加速度は増す。
そう思いながら活動を続けた。
年末から年始にかけては、
色々とトラブルはあったが、一応目標通りに進んだ。
しかしアルバム制作において、ゴタゴタがあって、
ちょっとレーベルサイドど話が合わなくなり出した。
近藤さんは、この頃は別の仕事に携わることが多い時期だったのと
加藤さんは上記アルバム制作においてのトラブルが発生したこととで
俺は、ちょっと孤立した感が否めない状況になった。
まぁ、でも何が悪いとか誰が悪いとかではなかったんだと今は思う。
そんなこんなを経て辿り着いたリキッドルーム公演は、凄く楽しかった。
会場に入ったら近藤さんが勝手に会場をミラーボールだらけにしていて
俺が精神的に追い込まれているのを助けてくれた。
UNIT公演にしろ、このリキッド公演にしろ、大赤字だったろうな。。。
ってぐらい、規模からは考えられないぐらいセットが凝ってた。
集客も、売り切れはしなかったが良かった。
公演自体も魂こもってて、しかもハッピーな感じでもあり
主観では次に繋がりそうな良いライブだったと感じた。
しかし、数日後、事態は急変した。
-続く-